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カテゴリ:音楽の話  

  • 死と浄化<Tod und Verklärung>
    [ 2007-01-15 16:19 ]
  • 歓喜の調べ
    [ 2006-12-25 22:27 ]
  • 「切望→絶望→殺害衝動」
    [ 2006-09-24 23:40 ]
  • 凡庸なるものの守り神サリエリ
    [ 2006-09-18 13:54 ]
  • 天才と呼ばれた男:Wolfgang Amadeus Mozart
    [ 2006-03-17 20:42 ]

死と浄化<Tod und Verklärung>  

2007年 01月 15日

リヒャルト・シュトラウス作曲による彼の3作目の交響詩。
「死と変容」とも邦訳されている。

死は恐怖であり、抗うべき対象である。
死は生と鬩ぎ合い、生は死を遠ざけようとする。
しかし、それと同時に死は浄化でもある。

シュトラウスの死生観を表現したものであり、宗教色の強い作品である。

死とはなんだろうか。

仏教やヒンドゥー教で言えば、輪廻という概念が在る通り、死とは再生である。
両宗教とも、その輪廻転生の鎖から脱することを目的としており、生と死は等しく「苦」なのである。

イスラム教では、何だ?
え〜、分かりません。

宗教の目的とは、民衆の救済である。
死の恐怖からの救済。
そのための死の定義。
そのための生の定義。

生きるとは?死ぬとは?

宗教が成立するずっと前からある現象。
繰り返し繰り返し行われる、生と死のサイクル。
生命は産まれ、そして死ぬ。
そう、生と死は、我々にとってはとてもナチュラルなこと。
ナチュラルなことに、その意味や意義を見出すのは非常に難しいことなのかも知れない。

う~ん…収束しない…。
という、取り留めもない話。

by molcelsig | 2007-01-15 16:19 | 音楽の話

歓喜の調べ  

2006年 12月 25日

え〜、メリークリスマス。

昨日は、東京都交響楽団による「ベートーベン・交響曲第九番」を聴きにいった。
年末になれば「第九」と、すっかり日本人には馴染み深いものになっている。

指揮はジェイムズ・デプリースト
私は読んでいないが、彼は「のだめカンタービレ」にも登場経験があり、本書を愛読されている方は、御存知かも知れない。
1962年の国務省主催のバンコク・ツアーで急性灰白髄炎(ポリオ)に倒れたが、十分に快復し、1964年にはディミトリ・ミトロプーロス国際指揮コンクールで優勝するなど、不屈の精神の持ち主でもある。現在は、ポリオの後遺症で歩行が困難なため、電動車椅子で舞台に登場し、そのまま指揮をしている。

さて。
恐らく最も有名で、最も親しまれている交響曲の1つである第九に関して、改めて説明など必要はないだろう。特に第4楽章は、交響曲に声楽を取り入れるという前衛的な試みが見事なまでに成功を収めており、ベートーベンの天賦の才能を窺わせる。

私が第九の中でも、とりわけ好きなのが、この第4楽章である。といっても、声楽部分ではなく、導入部分である(勿論、声楽部分も素晴らしく、実際にはここで泣いてしまったが…)。
第1楽章〜第3楽章が回想されるたびにチェロとコントラバスの低弦によって否定され、そして管楽器が、この交響曲でそれまでに断片的に姿を現した動機を演奏すると、低弦はこれを肯定する。この動機を基に、低弦が静かに第一主題(「歓喜」の主題)を演奏しはじめる。すると、ヴィオラがそれに続き、ファゴットとコントラバスの対旋律がそれを支える。さらに、歓喜の主題はヴァイオリンに渡され、四声の対位法によって豊かなハーモニーを織り成す。最後に管楽器に旋律が渡され、全管弦楽で輝かしく歌い上げられる。(by wiki)

これまでCDで幾度と無く聴いてきたが、やはりライブは違う。
低弦から次第に高弦へと主題が渡されていく部分は、特に美しくメロディが調和されていく(空間的な作用だろうか)。
鳥肌が立つ程、美しい。

苦悩の先にあるものは歓喜である、ベートーベンが辿り着いた神聖な領域を垣間見れたのかも知れない。

by molcelsig | 2006-12-25 22:27 | 音楽の話

「切望→絶望→殺害衝動」  

2006年 09月 24日

物騒なタイトルですが、前回の続きです。
ちょっと個人的な事情で全く更新できませんでしたので、久方振りです。

神に『天才を見抜く才能』を与えられた、敬虔なクリスチャン、サリエリと、神に『絶対的な音楽的才能』を与えられた、放埒なモーツァルト…。

彼等のそれぞれの才能が最も顕著に表れるシーンがある。

ヨーゼフ2世の妹の音楽教師の選考(妹は、あの有名なマリー・アントワネット。史実にもある通り、彼女の音楽教師はグルックである。)で、モーツァルトの妻コンスタンツィが彼に無断で持ち出した楽譜を見て驚愕するサリエリ…

原本だと言うのに、書き直しのない楽譜。
そして完璧に構成された交響曲。

サリエリは言う…

五線紙の中に閉じこめられた
小さな音符の彼方にー
私は至上の美しさを見た…。

と。

嫌が応うにもモーツァルトの才能を認めざるを得なくなったサリエリの心には、やがて闇が訪れる。そしてその闇は次第に大きくなり、遂にはサリエリに神を捨てさせ、神の子たるモーツァルトに対する憎悪と殺害衝動を抱かせる。

そしてサリエリは、モーツァルトの亡き父レオポルトの亡霊(モーツァルトは幼少からの徹底された教育により、父に必要以上の畏敬の念を感じていた。父の死は、モーツァルトの精神的支柱の破壊に等しい出来事であった。父の死後、オペラ「ドン・ジョバンニ」を作曲するが、放蕩生活を繰り返す主人公ドン・ジョバンニをモーツァルト自身に、それを諌める騎士長を父レオポルトに見立てている。)を演じ、「レクイエム」の作曲を依頼することで、徹底的にモーツァルトを追い詰める。

生活苦と精神的ダメージから、日に日にモーツァルトは衰弱していき、遂には「レクイエム」の作成途中で力尽きる…。

最後の作曲が「レクイエム=鎮魂歌」になるとは、何という皮肉だろうか。

これこそが、サリエリの望んだ結果だったのだ。

天賦の才能をモーツァルトに与えた神への復讐…

そして、サリエリは「凡庸なるものの守り神」になった。

え~、以上。
非常に面白い作品でした。
これほどまでに見ごたえのある作品は昨今無いのではないでしょうか。
モーツァルトとサリエリの関係性の新たな解釈としても興味深く、映画中のオペラはもちろんのこと、背景で流れる音楽も素晴らしい。

3時間という大作ですが、一度ごらんになってください。

では。

by molcelsig | 2006-09-24 23:40 | 音楽の話

凡庸なるものの守り神サリエリ  

2006年 09月 18日

「アマデウス・ディレクターズカット版」を見た。

この物語は、アントニオ・サリエリのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに対する贖罪の科白と、自殺未遂、そして神父(牧師?、え〜懺悔聴聞しているし、カトリックだから神父か…)への告白より始まる。

サリエリは言う。

「モーツァルトを殺したのは私だ…」

と。

言うまでもなく、モーツァルトは最も偉大な音楽家の1人である。
35歳という短い生涯のなかで、実に600曲以上も作曲してきた。その全てが完璧な音楽であり、例え一小節でも変更が許されないものであろう。
彼の最後の曲、K.626レクイエムが未完に終わり、その後弟子のジュスマイヤーが補筆したものが、現在では広くモーツァルトのレクイエムとして認知されているものの、やはりラクリモサ以降は賛否が分かれるところであるのも、モーツァルトの作品が如何に完璧であったかを物語っている。

さて。
サリエリとモーツァルトの関係性については、諸説紛々としており、残念ながら私には真実を見極めることは適わないため、ここでは『アマデウス』(1984年/2001年完全版)の内容に沿った形で書いていきたい。

18世紀後半ウィーンを舞台に、凡庸ながらも(実際には、同時代ではかなりの賞賛を受けていた)宮廷作曲家という社会的地位を獲得したサリエリと、神に愛されたと言って良い程の音楽的才能を持ちながら、放埒な性格と不品行であることから社会的地位を得られないモーツァルトを中心に描かれている。

凡庸なサリエリと、天才モーツァルトの確執がどのようなものであったか…

それは、また次回…。

by molcelsig | 2006-09-18 13:54 | 音楽の話

天才と呼ばれた男:Wolfgang Amadeus Mozart  

2006年 03月 17日

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

天才と呼ばれた男である。
浪速のモーツァルトと呼ばれた、キダ・タローもある意味では天才かも知れないが、ここではアマデウスの話をしよう。

5歳で作曲をし、8歳にして交響曲を書き上げた男である。
まさに天才。
その後、35歳という若さでその生涯を閉じるまで、断片なものを含めて、700曲以上を作曲した。まぁ、中には排泄をテーマにした「俺の尻をなめろ」などの曲もあるようだが、そんなことを抜きにしても、今もなお多くの人々に愛され続けている。

作風は、装飾音が多く、長調が殆どであり、展開の仕方はポリフォニックであったり、立体的であったりといろいろであるが、再現部やコ-ダにおいて、哀しみが含まれていて実に印象的である。また、短調作品は非常に少ないながら悲壮かつ哀愁あふれる曲調のものが多く、人気が高い。…らしい。

彼の物語を語る上で、頻繁に引き合いに出されるのが、アントニオ・サリエリAntonio Salieriであろう。アマデウスとサリエリの確執を取り上げた映画も少なくない。何一つ立証されていないにも関わらず、サリエリがアマデウスから盗作したり、毒殺しようとしたと非難するスキャンダルが18世紀ウィーンで起こっている。サリエリが無実かどうかは私の知る所ではないが、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン、フランツ・シューベルト、フランツ・リストを指導していたことからも、彼が後世に残したものの大きさには感服させられる。

歴史の闇に埋もれてしまった真実。
それが何であるかは、知る術もない。

サリエリが残した作品、今度聴いてみよう。

by molcelsig | 2006-03-17 20:42 | 音楽の話