大道小異
2008年 06月 22日
森山大道
日本を代表する写真家の一人だ。
「アレ・ブレ・ボケ」と形容されるハイコントラスト、かつ粒子の粗い荒々しい写真で、これまでの写真の概念に一石を投じたと言われている。
カメラがブレ…、ピントがボケ…。
それらは私も得意とするところだ。
じっくり腰を据えて写真を撮る訳ではなく、惹かれるものにレンズを向け、シャッターを切る。
森山氏の撮影風景を見ると、路上を歩き、ここそこでシャッターを切っている。
何やら似たようなものを感じる。
しかし、私の写真には哲学も、追い求める何かもない。
ただ、人やモノが写っているに過ぎない。
氏の写真には、そうだな、「存在」を感じるのだ。
単に躍動感があるとか息づいているとか、そう言った表現は適切ではない。
人が人としての、モノがモノとしての存在。
分かり難いな。
リアル…そう、リアリティだ。
氏の写真は、その対象が実像であれ虚構であれ、すべてがリアルだ。
なぜ、そう感じるのだろう。
それは、多分彼を通してみたものすべてが「等価・等質」だからなのかも知れない。
虚も…実も…すべてが等価であり、すべてがリアルになる。
なんと言う才能なのだろうか。
羨ましくもあり、恐ろしくもある。
そんなことを感じた、森山大道展だった。
日本を代表する写真家の一人だ。
「アレ・ブレ・ボケ」と形容されるハイコントラスト、かつ粒子の粗い荒々しい写真で、これまでの写真の概念に一石を投じたと言われている。
カメラがブレ…、ピントがボケ…。
それらは私も得意とするところだ。
じっくり腰を据えて写真を撮る訳ではなく、惹かれるものにレンズを向け、シャッターを切る。
森山氏の撮影風景を見ると、路上を歩き、ここそこでシャッターを切っている。
何やら似たようなものを感じる。
しかし、私の写真には哲学も、追い求める何かもない。
ただ、人やモノが写っているに過ぎない。
氏の写真には、そうだな、「存在」を感じるのだ。
単に躍動感があるとか息づいているとか、そう言った表現は適切ではない。
人が人としての、モノがモノとしての存在。
分かり難いな。
リアル…そう、リアリティだ。
氏の写真は、その対象が実像であれ虚構であれ、すべてがリアルだ。
なぜ、そう感じるのだろう。
それは、多分彼を通してみたものすべてが「等価・等質」だからなのかも知れない。
虚も…実も…すべてが等価であり、すべてがリアルになる。
なんと言う才能なのだろうか。
羨ましくもあり、恐ろしくもある。
そんなことを感じた、森山大道展だった。
by molcelsig
| 2008-06-22 01:06
| 写真の話